シンガポール生活あれこれ


by mapleleaf1217
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カテゴリ:映画( 7 )

トウキョウソナタ

このところ、ちょと気ぜわしい毎日を過ごしています。。
本当なら、春節で賑わうシンガポールの街の様子などを
お伝えしたかったのですが、まだ偵察に行っておりません。。。
今日は映画の感想などを記録の為に。。。

帰りの飛行機はお昼の便だったので
機内で3本の映画を鑑賞しました
「トウキョウソナタ」
「100万円と苦虫女」
「犬と私の10のやくそく」

娘は「ニモ」をみていました。
DVDも持っているから、何十回と見ているはずなのに
大笑いするシーン、そわそわするシーンがその都度あるようで、
同じ映画を毎回、新鮮な気持ちで見ている娘の様子を見て
子供っていいな・・・と思いました。
娘も映画に集中してくれたし、長くお昼寝をしてくれたので
私も久しぶりに映画に集中できました。

見た3本とも、とても面白かったのですが、
「トウキョウソナタ」は、特によかったです。。
黒沢清監督の作品は見たことがなかったのですが、
小津安二郎の映画のような淡々とした日常生活を描きながら、
ホラー映画のようだな・・と思いました。。
映画には、見えない恐怖が潜んでいました。
こういう感じの映画は初めて観たので、
家に帰って、インターネットで調べたら、
この監督は、ホラー映画のファンで、ご自身もホラー作品を撮られている・・という事を
知りました。
なるほど、と思いました。。
日常には、こんな見えない恐怖が潜んでいて
ある日、家族をばらばらにしてしまうのかもしれない、と思いました。
けれども、最後のシーン。
まったく台詞がなくて、次男が弾くピアノの音だけが響き、
登場人物たちの動きがほとんどないのに
この家族の再生を表現したシーンは、見事だと思いました。
動いているものといえば、ピアノを弾く次男の、鍵盤を滑るように動く指と
風で揺れているレースのカーテン、
光と影。のみ。
そして、だまし絵のように、観客の人数が少しずつ増えていって
この演奏がいかに素晴らしいものであるかを表現していました。。
最後に親子は、
人々の羨望のまなざしの中、ゆっくりと歩いていきます。
リストラされた父親は、ネクタイを締めた背広姿にこだわっていたのに
もう今は、ノータイでラフなジャケットを着ています。
彼の心境の変化を服装で表していたかと思います。
演奏を聴いた人々は、この家族に何があったかを想像することは出来ないし、
また、彼らを、ピアノの才能を持った天才児をもつ
幸せな家族と想像するのかもしれません。。。
そういうズレのようなものは、私たちの日常にはよくあることかと思います。
人間は、そういうズレの中で苦しんでしまうのでしょう。。。

映画に登場するエピソードは、ちょっと突拍子がなくもありません。
でも、この家族がやり直すためには、一度崩壊しなくてはならなかったのだな、
と思わせます。

同じく映画を観終わった主人が
「でも、次男にピアノの才能がなかったら、どうだったんだろうね」という
興味深い意見を言いました。
私は、誰もない、荒れた家の中で、たった一人きりで一夜明かした次男が、
次の日の朝、ぼろぼろになって戻ってきた母親、そして父親に
何の問い掛けもしないで、お互いに何も言わずに
3人が同じ食卓を囲んで朝ごはんをもくもくと食べているシーンを観て、
この家族はやり直せるのだろうな。。と感じました。

映画では、次男はピアノの天才児として描かれているのですが、
以前「天才というのは、上から押し付けても押し付けても
その才能を開花させてしまうものなのですよ。
だから、天才児というのは、親が何か出来たりするものではないのです」
という話を聞いて、まさにこの子は、それに当てはまるなあ・・・と思いました。

原案は、リストラされた父親と、父親に黙ってピアノを習う子供の実話を素に
作られたのだそうです。
実話だから、説得力があるのかもしれません。
それに肉付けをしていった、脚本家の腕前も凄いなと思います。

その他の2つの作品についての簡単な感想。
「百万円と苦虫女」は、ロードムービーです。
主人公が、手作りのカーテンを行く先々のアパートに取り付けるシーンが
印象的です。
そのカーテンが、時には長すぎ、時には短すぎる様子は、
主人公そのものを表現しているようでした。
また、終り方が良かったです。
主人公は、爽やかなあきらめの気持ちを持って、良い表情をするのですが、
もしかしたら、追いかけてきた恋人は主人公を見つけることが出来たかもしれない・・
という余韻を残しています。

「犬と私の10のやくそく」は、登場人物たちが、とてもまともです(笑)
犬の10戒 という詩をもとに作られたのだそうですが、
私は、もっと犬の存在感があってもよかったかな・・と思いました。
主人公の恋人役の加瀬亮 という俳優がちょっと気になって
別の意味で印象に残った作品でした(笑)
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by mapleleaf1217 | 2009-01-17 07:18 | 映画

つれづれ

クリスマス・イブの夕方
私も名前を知っているタレントさんが亡くなった・・・という
ニュースを見て驚きました。。
その死因とか、彼女に何があったのかなどは、
推し量ることが出来ないのですが、
死後1週間近く経って発見された・・という事実には
いたたまれない気持ちになりました。
つい先日も、孤独死についての記事を読んだばかりで、
そういうご年配の方が増えている・・・と書いてありました。
何というか、人事ではないな・・・と思います。

ただひとり うまれし故に ひとりただ 
死ねとしいふや 落ちゆく日は

九条武子/ 歌集「薫染(くんぜん)」より

思えば私の祖母は、
その臨終の時に、父と母、叔父夫妻、そして孫である私と妹
従兄妹たち、私の夫にひ孫である娘にまで看取られて
旅立っていきました。。。
葬儀の席で、叔父が
「ひ孫にまで看取られ幸せな最期だったと思う・・」と述べていたのですが、
年を重ねるごとにその言葉の重みを感じずにはいられません。

彼女のご冥福をお祈りいたします。。。

続く・・・
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by mapleleaf1217 | 2008-12-26 02:33 | 映画

いつまでも たくさん

ノーベル文学賞を、フランスの作家 ル・クレジオ が
受賞したようですね。

日本でも人気のあるらしいこの作家の作品を
残念ながら、私はまだ読んだことがありません。

でも、名前だけは知っていました。 
「モンド」という映画を観た事があるからです。
「MONDO」 / トニー・ガトリフ監督・脚本 / 1995年 / フランス
これは、ル・クレジオの「海をみたことがなかった少年」という短編集の中の
冒頭を飾るお話を、割合忠実に映画化した作品なのだそうです。
映画のパンフレットで、「ル・クレジオ」の名前を見つけたとき
面白い名前の作家だなあ・・と思いました。
フランス語は良く分かりませんが、
Le は確か英語のThe に相当する言葉だったような・・

お話はとってもシンプルです。
(だいぶ前に見たので、細部は忘れてしまったのですが・・・)
ある日何処からともなく、一人の少年がやってきて
ある海辺の町に住み始めます。
町を歩いては、気の合いそうな大人を見つけて
友達になっていきます。
モンドの友達になる大人たちは、
どこか社会からはみ出してしまったような人たちばかり。
海辺に住む老人からは、文字を教わり、
大道芸人の芸をみて、
一人のおばあさんは、モンドの為にいつも扉を開いて待っていて
くれました。
そんな生活を送っていたのに
ある日突然に、モンドは姿を消してしまいます。
それは、あまりにも突然で手品のようでもあったので、
大人たちはモンドなんていう少年は、初めからいなかったのではないか・・・
と思うようになるのです。
けれどもある日、
老婆が海辺で文字の書かれた石を見つけます。
そこには
「いつまでも たくさん」と書いてありました。
そして、ああ、やっぱりモンドはここにいたんだな・・・と思うのです。

モンドという素性も分からないない少年に
根掘り葉掘り質問したりしないで、
ただ彼そのものを受け入れている大人たちの寛容さも
印象的でしたが、
やはり最後の言葉
「いつまでも たくさん」という言葉が心に温かく残りました。。

いつまでも たくさん ありがとう
いつまでも たくさん 大好きだよ
いつまでも たくさん 覚えていてね・・・

このシンプルな言葉の中に、それこそ沢山の思いが含まれているように
感じられます。

最後にこの言葉を聞いて
映画を観ていた私は、ちょっと切なく、そして温かな気持ちになりました。。
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by mapleleaf1217 | 2008-10-10 03:20 | 映画
今年、中秋の名月がみられたのは14日だったようです。
その日以降、ぱたり、と月餅の姿を見なくなりました。
中秋節が終わると、月餅は売られなくなるようです。
(年中販売しているお店もあるのですが・・・)

このところ、ちょっと忙しくてバタバタしていたのですが、
夜、娘が眠ったあと、ふと窓の外を見ると
綺麗なお月様が見えました。
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よく見ると、まん丸ではなくて、右側が少しかけ始めています。。。
しばらく、のんびり月を眺めていたら、
「Moon River」の曲を思い出しました。
お月様の下にある雲が、川のようにも思えたのです。

「ムーン・リバー」は、言わずと知れた名曲で、
映画「ティファニーで朝食を」 ブレイク・エドワーズ監督 /1961年/アメリカ の中で、
オードリーヘップバーンがギターをややたて気味に抱えて
窓辺で歌っていました。

Moon River
Words by Johnny Mercer
Music by Henry Mancini

Moon river wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Oh dream maker you heart breaker
Wherever you're going I'm going your way
Two drifters off to see the world

There's such a lot of world to see
We're after that same rainbow's end
Waiting round the bend
My Huckleberry friend, Moon River and me


私は当時、ヘップバーンをそれほど好きではなかったのですが、
(私は、神聖ガルボ帝国の一市民だったので・・・)
この映画では、奔放に生きる事を選んだ、ヘップバーン演じる主人公が
ぼんやりと抱えている哀しみのようなものを理解できたかと思います。
この、「年中旅行中」と言っているようなエキセントリックな性格の持ち主を、
ヘップバーンは嫌味なく演じていました。
映画の冒頭、早朝のティファニーの店の前でパンをかじるシーンや
お菓子のおまけをティファニーに持っていって、名前を彫ってもらうシーンも
印象的でした。

「ムーンリバー」を聞いた時、歌詞がとても気になりました。
まず耳に残ったのは「ハックルベリー・フレンド」という言葉。
何で、トム・ソーヤの友達の名前が出てくるんだろうか・・・。
今でこそ、ネットで検索すれば、訳詩もすぐに探せるかと思うのですが、
当時は、そんな手段もないから、辞書を片手に考えました。。

ムーン・リバー、1マイル以上の幅を持つ大きな川
いつか、颯爽とこの川を渡りたい。
希望もあれば、深い哀しみもある
この川の流れのままに、身を任せましょう。。
世界を見るために、二人の漂流者は大海に出て行くのです。

世界には、見るべきものが沢山あるのでしょう。
私たちは同じ虹のかなたを追い求めます。
たとえそこに狂気が待っていようとも。
幼馴染みの冒険仲間。ムーン・リバーと私


We're after that same rainbow's end
Waitinground the bend
ここの部分が、よく分かりません。
というか、詩自体がとても難解です。
rainbow's end は虹の終わり。
虹の終わりとは、over the rainbow と同じ意味合いなのでしょうか。
またWaiting round the bend 。
韻をふんでいるのだと思うのですが。。。
曲がり角の向こうに、幸せが待っている・・・と
訳されている方が多いのですが、私のだと反対の意味になってしまいます。
round the bend で気が狂ったとか、酔いどれた・・という意味があるのですが。。。

そもそも、「ムーン・リバー」というのは一体どんな川なのでしょうか。
川面に月影が映った夜の川の様子を表しているのでしょうか。。
少し調べたら、この川は、実は作詞したジョニー・マーサーの実家の裏に流れる
川の名前だと知りました。実在する川だったのです!
この詩は、彼が、幼い頃から見てきた川を想って、作ったのだと思います。
ジョニー・マーサーは大海に流れていく川を見て、
広い世界に羽ばたいていくことを、夢見ていたのかもしれません。

さて、「ハックルベリー・フレンド」。
これは、マーサーの作った造語のようです。
「ハックルベリー」はコケモモの実という意味がありますが、
この詩の場合は、ハックルベリー・フィンの略ではないでしょうか。。
「ハック・フレンド」では短かすぎるし
「ハックルベリー・フィン・フレンド」では長すぎます。
幼馴染みの冒険仲間、と捉えてよさそうです。
素敵な言葉だと思います。。

娘は今は、自分中心の世界で生きていますが、来年小学校に上がって
中学校、高校・・・と進んでいくうちに、きっとお友達関係で悩むことがあるかと思います。
女の子の友情というのは、同じ時間や、物を共有することで成り立つことが多いので、
時には寂しい思いをしたり、疑問を感じたり。。。
時々、友達親子という言葉を聞きますが、私は娘のお母さんであって
決して友達にはなれないと思っています。
親には話せなくても、お友達になら言えることだってあるはずです。
私は、ずっと娘の味方で、娘の為に頭を下げることが出来ても、
残念ながら「ハックルべりー・フレンド」にはなれません。
それは、娘が自分で見つけなければならないのです。
見つからないかもしれないけれど、もし見つけられて、
「スタンド・バイ・ミー」の少年たちの様な時間を過ごしたり、
小さな秘密を作れたら、素敵だなあ・・・と
少し欠けたお月様を見ながら思いました。

カンボジアの記事、これからUPします!!!
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by mapleleaf1217 | 2008-09-16 17:44 | 映画
ちょっと前のこと。

7月の終わり頃のある日の夕方の空。
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7月27日に撮影。
この日、空をみたら怖いほどに美しい夕焼けだったので
思わずシャッターを押してしまったかと思います。
後日、他の方のブログでも、この頃の夕焼けの写真が載っていて
「ああ、やっぱりこの空は、いつもとは違っていたのだな。。。」と思いました。
実は同じ頃、日本でもこんな夕焼けが見れたのだそうです。
そして、後で知ったのですが、マヤ暦では7月26日が新年。
この空も、その暦と関わりがあることを知りました。
今はもう、滅んでしまった民族の繊細な感覚が残していった記録なのだな、と思います。

私は、霊感とかスピリチュアルなものにはどちらかと言えば、無縁なタイプなのですが
時々、自然の神秘については考えたりもします。
ジュール・ヴェルヌの小説、「緑の光線」の中の一節。
「太陽が沈む瞬間にはなつ緑の光線は幸運の印」というのをモチーフに作られた
エリック・ロメール監督の「緑の光線」。
この映画では、自然の神秘が描かれています。
ここに登場する、ネガティブでちょっと自分勝手な主人公デルフィーヌには
共感する所が多かったのですが・・・(苦笑)
(例えば、自分が何故菜食主義者か説明するくだりで、
話せば話すほど、支離滅裂になってしまって、最後に涙が出てきてしまう辺りなど・・)
この映画は、バカンスを急に1人で過ごさなくてはならなくなった主人公が
「ひとりぼっちは寂しい・・」と街や海辺をうろうろする話で、
最後には、気の合いそうな男友達と出会うのですが、
その彼と「緑の光線」を体験して、彼女の笑顔でエンドマークという筋です。
映画には、夕日の沈む瞬間が写されています。
緑の光線が見えた、という人もあれば、分からなかった・・という人もいるのですが、
私は見えた(感じた)かと思います。
真っ赤な太陽が沈む瞬間に放つ、緑の光線。
これもまた、神秘的です。
そして、もう一つ、以前記事にした「レネットとミラベル四つの冒険」の中の
一つのエピソードに「青の時間」というのがあります。
これは、田舎育ちのミラベルが話すことなのですが、
夜起きている動物が眠りについて、朝起きる動物が目覚める夜明けのほんの一瞬、
静寂の時間が訪れる・・・というのです。
映画では、その一瞬の様子が描かれています。
本当に一瞬なのですが、シーンと辺りが静まり返るのです。
都会育ちでインテリのレネットも、思わずミラベルに抱きついてしまうほど
二人は感激します。
これも、自然の神秘ではないでしょうか。。

あまり言われない事なのですが、
ロメールは自然に対して鋭い目をもっているな・・と思います。
「木と市長と文化会館」は、
フランスのとある村の、樹齢100年の木が立っている広場に
文化会館を建てたい市長と、その木を守りたい小学校の教師との
ちょっとしたバトルを描いた作品なのですが、
この映画で、最後に小学校の先生の娘であるゾエが
「皆、緑に餓えているのよ」と言うくだりがあります。
その村は、農業をする人が多く暮らしていて、
見渡せば、辺り一面緑ばかり・・なのにです。
そして、その言葉を聞いて市長はそこを公園にしようと思うのです。
ゾエの言葉には、はっとさせられました。
つまり、人間の手が加わった田畑は、もはや自然とはいえなくて、
本当の自然というのは、樹齢100年の木そのものなのだ。
だから、この木はとっても大切なのだ、と言っているのだと思います。
この映画を観て、自然という言葉の捉え方がちょっと変わった気がしました。

空に起こる現象は、人の手が加え難いので、心に響くのかもしれません。
(大気汚染などの問題はあるのですが。。)
人間は、むしろ何もしない方が良いのかしら。。と時々思います。


<お知らせ>

今、家の電話が不通の状態です。。
連絡は、メールでお願い致します。。
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by mapleleaf1217 | 2008-08-27 07:01 | 映画

ラ・パロマ

最近、昔観た映画の事を思い出す機会が多くて、
自分の記録の為に、時々映画の事も記事にしてみようかと思い立ちました。
あくまでも、個人的な感想で、個人的な記録になります。。

映画館に行かなくなって、久しいです。
最後に行ったのは「かもめ食堂」。もう2年前になるのでしょうか。
主人に娘のお守を頼んで、銀座まで一人で観にいきました。。。
シンガポールに来てから、観たいと思った映画があって
ジェーン・オースティンの半生を描いた「Becoming Jane」という作品だったのですが、
上映時間が微妙にお迎えの時間と重なって、結局観ることが出来ませんでした(残念。。)
その時初めて知ったのですが、
映画のパンフレットというのは、日本独特のものなのですね。
シンガポールもアメリカも、パンフレットは作っていないのだそうです。。

若い頃は、兎に角映画を観るのが好きでした。
(好きが高じて、映画の学校にも行ったのですが、あえなく挫折。
撮るのと観るのとは、大違いでした)
一種の現実逃避だったのかもしれません。

さて、
ここしばらく、家の近くの街路樹の根元に、少し大きめの鳥の死骸が
仰向けに横たわっていました。
暫くそのまま放置されていたので、
通るたびに目に入ってしまって・・・

「ドグラ・マグラ」やピーター・グリナウェイ監督の「ZOO」などを
思い出しました。
どちらも、死体が腐敗していく様子を執拗に描いています。

久しぶりに、ピーター・グリナウェイの名前を思い出しました。
「建築家の腹」「数に溺れて」「コックと泥棒、その妻と愛人」、「英国式庭園殺人事件」
「プロスペローの本」など、何本か観たかと思います。
映画には、必ず偏執的な何かへのこだわりがありました。

死体を違った扱い方で映した作品もあったな、と
思い出したのは
ダニエル・シュミット監督 「ラ・パロマ」 1982年 スイス/フランス
この映画、退廃的で美しく、突拍子もなくて、凄く好きな作品です。

まず、初っ端から登場するクラブが凄い
男装の麗人や小さな子供に大人のような化粧を施して
お給仕をさせているのです。
それが、なんとも退廃的な雰囲気で、そこに登場するのが
主人公の男性(ペーター・ケルン)。
この俳優さんも、貴族のお坊ちゃんという感じなのですが、年齢不詳で
何だか大人子供のような不思議な容貌です。
物語は、そのクラブの歌姫に一目ぼれしたこの男が、彼女を説得して説得して、
ついには、男の美しい母親まで登場して、なんとか結婚にこぎつけるのですが、
彼女は、男の事が好きな訳ではなくて
自分が不治の病いで余命いくばくもない境遇なのと、
この男の愛が誠実なものだと理解できたことで、結婚を受け入れたのです。
なので、彼女が男の親友と恋愛関係になった時に
この男になじられたことで、心を閉ざしてしまいます。。。
自分は、無条件に自分を愛するといった男を信じて結婚したのに、裏切られたと言って。
そして、不思議な薬品を使って、念入りにある計画を練るのです。
歌姫はやがて死に、そして3年後、自分の棺を掘り返して欲しいという遺言を残します。
3年後、掘り返した棺で男が見たものは・・・・。
その時に流れる曲が「ラ・パロマ」。
この軽快なリズムと遺体の組み合わせがミスマッチで印象的です。
私もマンドリンでこの曲を弾いた事がありますが、
楽しい気分にさせてくれる、とても好きな曲です。
さて、男は精神のバランスを失ってしまうほど嘆くのですが・・・・
場面は、最初のクラブのシーンへと移ります。
舞台には妖精のような歌姫がいて、じっと男の目を見ているではありませんか。
全ては、男が見た一瞬の夢だったのかもしれない・・・と
余韻を残して映画は終わります。
ダニエル・シュミット監督はスイス人。
「ラ・パロマ」の他にも、「ヘカテ」という耽美的な作品を撮っています。
また、古いホテルを舞台に、
古き良き時代を描いた「季節のはざまで」という作品も印象的でした。
私が好きなのは、ドキュメンタリーの「トスカの接吻」。
かつて活躍した音楽家たちが集う老人ホーム「ベルディの家」を
淡々と撮っています。
そこに集う老人たちは、かつての栄光の記憶の中に生きているのですが、
少し滑稽で、少し哀れで。
物語はないはずなのに、時には演技しているのでは?と感じるほどのリアクションを
老人たちがするので驚きます。
ドキュメンタリーだということを、ころっと忘れてしまう映画でした。。。

そして、もう一つ、死体が登場する映画で思い出すのは
「スタンド・バイ・ミー」
これも、好きな映画なのですが、
書くと長くなりそうなので、また次回ということで。。。
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by mapleleaf1217 | 2008-06-30 02:02 | 映画
バス停でバスを待っていると、隣に座っていた老人が
「two dollar・・・」と話しかけてきました。
娘は「おじいさんは、2㌦欲しいっていってる」と言って
自分のがま口(いつも持ち歩いているのです)を取り出して
2㌦札を渡そうとしました。。
シンガポールに来てから、物乞いをしている人を度々見かけます。
そして、彼らに施しをするシンガポーリアンが多くて、ちょっと驚きました。

私は学生の時に、ファーストフードのお店で隣り合った年配の夫婦に
「帰りの電車賃がないから、この切手を買ってくれないか・・」と言われて
とても戸惑った記憶があります。
70円か、80円切手だったし、少ないおこづかいでも充分払える金額だったのですが、
一緒にいたお友達としばらく考えて、結局それを買うことが出来ませんでした。
その時その夫婦に
「買ってくれてもいいじゃないか・・・・何ていう娘たちなんだ」と言われて
ちょっと心に爪あとが残ったのですが、
大人になった今でも、どうすべきだったのか、よく分からないままでいます。。。

今日は、娘が2㌦札を出そうとした時に
「やめなさい」と言ってしまいました。
私はちょっと厳しい表情をしていたようで、娘は驚いた顔をしていました。
その時、ちょうどバスが来たので飛び乗ってしまいました。。。
2㌦札を差し出すべきだったのか否か・・・と、実はまだ考えています。
この記事を読まれた方も、それぞれ意見が分かれるかと思うのですが。。。

そして、思い出した映画がありました。
「物乞い、万引き、ペテン師」は、
エリック・ロメール監督 「レネットとミラベル 四つの冒険」 1986年 フランス 
の中の一つのエピソードの題名です。
随分と物騒な題名ですが、ロメールの作品ですから
何か事件が起こる訳ではなくて、日常のささやかな出来事のひとコマを
切り取っています。
映画の内容については、「レネットとミラベル・・・」で検索すると
沢山でてくるので、ごく簡単に。
田舎育ちで画家志望のレネットと都会に住むインテリのミラベルが、
ヴァカンスで出会って、パリで一緒に住み始めます。
「物乞い、万引き、ペテン師」は二人の体験するエピソードの一つで、
物乞いに施しをするレネット(がま口から小銭をとりだすのです!)に対して、
皆に施しすることなんて出来ないのだからやめるべきだ、と
主張するミラベル。けれども、レネットの意見を聞いて思うところがあったのか
後日、万引きの女性の手助けをしてしまいます。
その話をきいて、怒り出すレネット。
「万引きをすればつかまる、と言うことを教えなくてはいけない」と言って、
そして、自分が体験した事を滔滔と、話し始めます。
「タクシーがメーターを倒さずに、法外な運賃をとろうとしていたのに気がついて、
途中から、メーターを倒すように言って、その金額分だけ支払った。
結局メーターを倒さなかった分については、相手は損をしたのだから、
これからは、そういう事をしなくなるだろう・・」
これに対してミラベルは
「自分だったら、メーターを倒していなかった分まで、きちんと計算して
支払っただろう」と反論します。
二人が議論を戦わせるあたりは、ロメールの得意とする描写かと思います。

さて、今度は、レネットが駅で、小綺麗な身なりの女性に
「バッグを盗まれたので小銭を貸して欲しい・・」と言われて小銭を差し出すのですが、
結局電車に乗り遅れてしまって、電話をかけたくても、小銭がなくて困ってしまいます。
すると、さっきの女性が別の婦人に同じ事をしているのを見かけて、
ペテン師だったと気がつくのです。
レネットは、ペテン師に向かって
「今すぐ小銭を返さなければ、付きまとうから・・」と言い放ちます。
女性は
「本当に小銭がなくて困っている」と泣き出すので、
結局、レネットは返してもらった小銭から、電話代だけとって、
あとは女性に渡してしまうのです。。。

この映画では、
では、結局どうすべきなのか・・という結論は出していません。
白熱した意見交換をしても、結局は個人の思いに依るのだと感じました。
私は映画を観て、
「ペテン師なんだから、嘘泣きだって出来るはず。どうして小銭を渡したんだろう・・」と
思ったりしたのですが、それはあくまでも私の意見です。

ついでに、残りの3つのエピソードを紹介すると、
「青の時間」「カフェのボーイ」「絵の販売」とあって、「物乞い・・」は3番目のエピソード。
「青の時間」は監督の代表作である「緑の光線」を彷彿とさせるエピソードかと思います。
「カフェのボーイ」「絵の販売」は、
それぞれ最後にちょとした落ちがついていて面白かったです。

寝る前にもう一度娘に
「今日、どうしておじいさんに2㌦札をあげようと思ったの?」と聞いてみました。
娘は
「おじいさんが、2㌦欲しいって言っていたから・・」と答えました。

それは、まだ何も知らない純粋な子供の気持ちなのだと思います。
もし、娘がもっと大きくなって、色々な事を経験して、
それでも、こんな風に言えるとしたならば、それはとても凄いことだと思います。。
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by mapleleaf1217 | 2008-06-29 23:18 | 映画