シンガポール生活あれこれ


by mapleleaf1217
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カテゴリ:お天気( 5 )

新年快楽 / 日食

春節のお休みで、街はひっそりとしていました。

昨日明治屋で食料も買い込んだので
一日娘と家に籠もりました。。。
旧正月の間は、近くのホーカーやマーケットもひっそりと静まりかえります。。

時々、ライオンダンスの集団が賑やかな音を奏でて
通り過ぎていくのですが、後は静寂が戻ってきて
娘と
「何だか静かね・・・」と話したりしていました。

そんな風にまったりと過ごしていると
夕方、携帯電話が鳴りました。
Rママさんからで
「日食見てる??」の一言に、
「そうだった--------!」と思い出しました。
今日は日食が見れる日だったんだ!!

慌てて娘と外に出ました。
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写真にはやはり撮れないですね。。。
太陽の光の凄さを実感します。。。
雲が多くて残念だったのですが、一瞬切れ間から
深皿の様な三日月型の太陽を見ることができました。
娘も
「三日月の形だ!」と喜んでいました。。。
恐らく、ピークをやや過ぎたあたりだったのかと思います。
それでも、体験できて幸運でした。
Rママさん、有難うございました!!

小学校の頃、学校の帰り道
空き地に大人たちが数人集まって、
空を見ている光景に出くわしたことがあります。
近づいてみると、一人の人が
「見てごらん」と割れたガラスの破片を手渡してくれました。
そこには一箇所、黒く墨で塗りつぶされた箇所がありました。
言われるままに、かざして太陽を見ると
その一部が黒くなっていて三日月の形をしていたので驚きました。
自分の目には、太陽はいつも通りの光を発しているように見えたのに
黒い膜を通すと、確かに欠けてしまっていたのです!
まさに三日月の形をしていました。
そして少しずつ、黒い影が動いていくのが分かりました。
30年以上経った今でも
その時の空の青さは目に焼きついています。。。

今では、「空き地」というものを見かけなくなったし
「大人が昼間に揃って日食を見る」なんていう光景に出くわすことも
まずないでしょう・・・
昭和の時代の古き良き思い出かと思います。。。

ところで、私は皆既日食を「怪奇日食」と思っていました。
とっても怖いイメージを持っていたのです。
余談ですが、台風一過は「台風一家」と勘違いしていて、
台風の家族が通り過ぎて、次の日にはお天気に恵まれるのかと
信じていました(苦笑)(お父さん台風♪お母さん台風♪赤ちゃん台風♪)
そういう間違いが、とっても多い子供でありました。。。

さて、今年7月22日に日本で「皆既日食」が見られるようですね。
屋久島で長時間観測できるのだそうです。。。
是非見てみたいものです。
屋久島も一度行ってみたい所だったので良い機会なのですが、
混むでしょうね。。。。
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by mapleleaf1217 | 2009-01-26 23:31 | お天気

ある日の空・・・

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この日、空を見て「天使がいる!」と思ったのですが、

私だけの錯覚でしょうか。。。
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by mapleleaf1217 | 2008-06-27 14:32 | お天気
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朝焼けです。
朝焼けの日は、お天気が悪くなると聞いたことがあります・・・。

日本は入梅したようですね。
紫陽花の美しい季節です。
桜も好きですが紫陽花も好きで、
この季節には、鎌倉までよく足を運びました。
何処かのお寺では、住職がせっせと紫陽花を植えたとかで、
野生化した紫陽花が、逞しく咲いている様を見て
驚いたことがあります。
沢山の花を眺めるのも楽しいのですが、
紫陽花を一輪飾るのも素敵です。

シンガポールは、常夏で季節感がないと言われていますが、
1年住んでみると、ほんの少しですが、季節の変化を感じます。
それは、日本の四季に重なる部分があるような気がしてなりません。
桜の季節には、桜に似たような花が咲いて、
日本の秋口には、黄葉して散る葉があるのです。

日本が梅雨入りし始める頃から、こちらも雨がぱらぱらと降るようになりました。
一日どんよりしている日もあるのですが、
雨季ともちょっと違う感じがします。

今日はうっかり折り畳み傘を忘れて、空模様を気にしながら過ごしていたのですが、
降られることなく帰ってこられました。
娘が帰宅する頃、ぱらぱらと降って
今は、雨は降っていないのですが、雷がゴロゴロと鳴っています。
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by mapleleaf1217 | 2008-06-04 17:59 | お天気

雲を見てゐる自由の時間

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朝、目を覚ました娘が
「わあ~雲がすごいいっぱい!」と言って、
嬉しそうに窓辺に走って行きました。。。

「雲を見てゐる自由の時間」

は、萩原朔太郎の詩の1節のようです。吉行理恵さんのエッセイで知りました。

朝はいつも慌しいのですが、今日は暫く二人で
雲の様子を眺めていました。。。
シンガポールの夜明けは遅くて、
7時過ぎないと明るくなりません。

太陽が昇っていくのに合わせるかのように、
雲の集団が、ゆっくり2つに別れていきました。
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まるで、モネの描く世界でした。。。


虚無の歌
     我れは何物をも喪失せず
     また一切を失ひ尽せり。「氷島」

 午後の三時。広漠とした広間《ホール》の中で、私はひとり麦酒《ビール》を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉《ストーブ》は明るく燃え、扉《ドア》の厚い硝子《ガラス》を通して、晩秋の光が侘《わび》しく射《さ》してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓《テーブル》、脚の細い椅子の数数。
 ヱビス橋の側《そば》に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街《まちまち》を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒《ビール》と、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。
 かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦《あし》のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷《いのり》。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶[#「失はれた追憶」に二重丸傍点]だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍《ひきがえる》とが、地下で私を待つてるのだ。
 ホールの庭には桐《きり》の木が生《は》え、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀《いたべい》で囲まれた庭の彼方《かなた》、倉庫の並ぶ空地《あきち》の前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙《ばいえん》が微《かす》かに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広いがらん[#「がらん」に傍点]とした広間《ホール》の隅で、小鳥が時時|囀《さえず》つて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない食卓《テーブル》、脚の細い椅子の数数。
 ああ神よ! もう取返す術《すべ》もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞《うつろ》な最後の日に。
 今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒《ビール》を飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。(『四季』1936年5月号)

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by mapleleaf1217 | 2008-02-20 02:26 | お天気

季節風 (モンスーン)

2月に入って、心地よい風が吹き渡っているシンガポールです。
確か、まだこちらに来たての昨年8月頃にも、同じような風が吹き渡っていました。
エアコンを入れなくても涼しいね・・・と話していたものです。
恐らくこの風が、季節風(モンスーン)なのだと、最近気が付きました。

モンスーンは、別名貿易風とも呼ばれています。
この風を利用して、シンガポールには様々な人々がやってきました。
1月には南シナ海から北東風が吹き、その風にのって中国からの船が、
そして、7月には向きが変わって、インド洋から吹く南西風に乗って、
インド人やアラブ人がやってきて、一方中国船はこの風を利用して
戻っていくという事を繰り返していました。
シンガポールは、インドと中国の航路上にある、
大きな船を停泊出切来る深い湾がある、
そして、新鮮な水の供給ができる・・という
3つの地理的条件から、貿易の中継地点として発展してきました。
16世紀頃から暫くは、オランダが支配していたのですが、
当時はマングローブの生い茂るジャングルで
島民もほんの僅かしかいなかったようです。
1819年にイギリスの東インド会社のラッフルズがやってきて以来、
急速な発展を遂げるのです。
当時の港の様子を描いた絵画が残されています。
その絵からは、立派なヨーロッパの帆船、中国のジャンク船、インドネシアの
ブギス船、マレー人の船などで賑わう当時の港の様子が窺えます。
また、スエズ運河が開通し、蒸気船が発明されたのは1800年代後半なのですが、
蒸気船の初期のものと思われる、煙突がついていた、煙を吐いている船も描かれています。
まだ完全ではなくて、帆を張って風も利用している様子が窺えます。
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こちらの船は、リバークルーズが楽しめる船です。
先日も記事にしましたが、クラークキーからマーライオンまで連れて行ってくれる
観光船なのですが、中国の船をモデルにしています。
船の先端に目玉のようなものがついているのですが、
これは、迷うことなく目的地に着くように、というおまじないのようなものです。
船体の色で中国の出身地も分かるようになっていました。

船が到着すると、フォートカニングヒル(当時はガバメントヒルと呼ばれていた)や
セントーサにあった、フラグスタフ(旗ざお)に旗が掲げられました。
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旗は色分けされていて、
例えば、赤はヨーロッパから、
黄色は中国からの
船の到着を意味していました。

季節風に乗って、帆船がやってきていた昔の港の状況を想像するのはとても楽しいです。
当然ながら、航海には沢山の苦難があったと思うのですが、人間が自然と共存していた
とてもシンプルな形態ではないでしょうか。
蒸気船の発明は、季節風に関係なくいつでも海を航海する事ができ、
それによって、産業も発達したのですが、一方では貧富の差を生むことにもなりました。
風に逆らって、ぐんぐん進んでいく蒸気船は、とても不自然でアンバランスな乗り物に
思えてなりません。そうやって、人間は少しずつ自然との共存を断ち切っていったように
思われます。。。

風の様子を窺いながら、注意深く航海した昔の人の繊細な感覚は、今はもう
失われてしまったのではないでしょうか・・・。
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by mapleleaf1217 | 2008-02-19 02:54 | お天気