ユーラシアン (Eurasian)
2008年 11月 10日
「Europian」(欧州系)の男性たちと、
「Asian」(現地のアジア)女性(主にマレー系)たちが
婚姻関係を結んで出来た、混血のコミッティのことで、
今現在では、15,000人のユーラシアンが
シンガポールに住んでいると言われています。
カトン地区にある彼らのコミッティセンターを訪ねました。
リスボンの
町並みを描いた
タイル。
シンガポールのユーラシアンのルーツを辿ると
セイロン(スリランカ)、インドのゴア(ポルトガル旧植民地)
マラッカ、マカオ(中国南部、ポルトガルの旧植民地)など
ポルトガルがアジアに進出してきたことに行き着きます。
シンガポールには1819年、マラッカから多くのユーラシアンがやってきました。
最初の頃は、ヨーロピアンとユーラシアン間の結婚も多かったのだけれど、
やがてスエズ運河の開通、そして蒸気船の発明により、
ヨーロッパから、男性と共に女性もやってくるようになると、
ヨーロピアンは、ユーラシアンとの結婚を拒否するようになっていきます。
また、ユーラシアンはローマ・カソリック教会の信者であることで
統一されています。
「kristang」というのは、ポルトガルとアジア系のユーラシアンを指すのですが、
16世紀から17世紀にマラッカで発生したといわれていて、
彼らは「Kistang」というポルトガル語とマレー語が混ざった
方言のような独特の言語を使っていました。。
ヨーロッパ式の
お茶の道具。
女性はマレー系の人が
多かったせいか
サロン・クバヤを
着用していたようです。
こんな可愛い衣装を着ていた人もいたのですね。。
第二次世界大戦中は、彼らは篠崎衛の働きかけによって
シンガポールを離れ、マレーシアBahau にて、
主に食料を作るという重労働を課せられていたのだそうです。
現在ビエンナーレを開催中の
サウス・ビーチキャンプの当時の写真だそうです。
Bahau のカソリック地域。
さて、ユーラシアンの食文化も
インド、マレー、中国、ポルトガルなどが混在していてユニークです。
センターの中には、シンガポールで唯一
ユーラシアン料理を作れるという、
シェフの手料理がいただけるレストランがありました。
笑顔の素敵な
この方がシェフ。
一皿に何種類も盛りつけるのは、インド、マレーの伝統ですね。
こちらは、「Devils Curry」
ユーラシアン料理の代表ともいえるお料理です。
クリスマスのあとに必ず食べられて、
各家庭、秘伝の味付けがあるのだとか。。
クリスマスで食べた残った牛肉、ベーコン、チキンなどを使って作られます。
カレーというよりも、酸っぱみの強いボルシチといった感じでしょうか。
美味しかったです。。
ポルトガル料理に由来するというビーフシチューは
あっさりしたお味でした。
私は海老と青唐辛子の炒めたものが気に入りました。。
また、こちらは「Sugee Cake」
アーモンドの粒粒の食感が新鮮な
カステラをもう少し乾いた状態にした、パサパサしたお菓子。
シンガポールではオーダーメイドでのみ
作られているのだそうです。。
ケーキをいただいていると、何やら楽しげな音楽が流れてきました。。
ユーラシアンの音楽は、陽気で明るい旋律です。
センターではダンスパーティーも催されているのだそうです。
シンガポールで有名なユーラシアンといえば
1971年~81年までシンガポールの第2代大統領を務めた
Bebjamin Henry Sheares(1907~1981)があげられるでしょうか。